Interview
ランドスケープに本気で取り組みたいと考え始めたのは大学3年生の頃です。その後12年間、日本だけでなく、北アフリカや、中国、モンゴル、北欧、ヒマラヤ、ヨーロッパの島々など世界中の様々な文化圏に幾度も足を運び、シリーズ作品として発表してきました。現在の活動のベースは学生時代、さらに言うとそれ以前の幼少期に形成されたものだと思います。山や川に接するのは、子供時代の僕にとって日常的なことでした。家の裏からは山道が近く、5歳の頃から毎朝、犬を連れて山に登る日々を過ごしていたのです。
そういったことの影響もあってか、写真を始めた頃からランドスケープをテーマにしたいと考えていました。カメラを手にしたのは17~8歳の頃です。撮影、現像、プリントなどの技術は独学で習得しましたが、写真史や色彩論といった教養科目も含め、写真を体系的に学びたいと考えたのが、大学進学を志したきっかけです。すでに写真家としてやっていこうという意識も芽生え、そのためには、自らつかむことが必要と考えていましたから、大学進学後は学科のカリキュラムをこなすだけでなく、独自に作品を撮りためたり、学外の講座や京都などで開かれているワークショップにも頻繁に参加していました。
入学当初は他分野で言えば動物行動学にも関心があったのですが、気がつくと山に入って風景を撮るようになっていました。次第に「日本でありながらも未だ見ぬ風景を撮りたい」という思いが高じて、あまり人の立ち入らない火山地帯や濃霧の中を歩き回ったりしていました。いわゆる日本の風景写真は目に見えるものを対象にし過ぎている気がしていたのですが、日本には八百万の神や自然信仰など、目に見えないものを敬う文化がありますから、その根底にある本質を捉えたいと思いはじめていたのだと思います。
写真はもっとも開かれた言語の一つだと僕は考えています。相手がまったく言葉が通じない国の人たちであっても、一枚の写真をきっかけに繋がれたり、コミュニケーションが深まるような作品を撮りたいと思っているのです。その意味では、フィルムに収まったものだけが写真ではありません。撮ることで対象とより深い関係性を築くことができたり、不可視の世界さえも感知してもらえる、そこに写真の可能性があると思うのです。だから、シャッターを切っていないときも「見る」作業はやむことがありませんから、大学時代にはトレーニングをかね、フィルムを入れずに撮る“空打ち”も実践していました。
大学生活で大切なのは、写真を学ぶだけでなく、幅広い視野に立ち様々な領域から吸収することだと思います。時間をかけて取り組む意義のあるテーマを見つけるためにも、大学は自分を“ぶつける場”であってほしいですね。対話や衝突を重ねる中から「私の中の私」ではなく、「他者と混じり合った私」や「私を通して見えてくる何か」に気づけるか?が大事だと思います。
四年間を通じて、自分ではできないと思っていたことができるようになったり、自分のスケールが大きくなるような体験があると素晴らしいですね。いま振り返ってみて、大学に通ってよかったなと思うことのひとつは、いろいろな人やものに出会えたことだと思います。好きなものだけでなく、苦手なものにも接することでわかることがあると思うのです。失敗を恐れず、ぶつかりの中から本当に自分がやりたいことを探す。その過程で制作のリズムや温度感をつかんでいくことができれば、有意義な時間になると思います。