Interview
大阪芸大卒業から約10年後に『ここは退屈迎えに来て』で作家として本格デビュー。2018年には同作が映画化されたことでも話題を呼んだ山内マリコさん。デビューまでの長い時間、小説家になる夢を諦めなかった山内さんを支えたのは、芸大で過ごした時間でした。
私が芸大を受験したのは、当時、アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』にハマっていて、監督の庵野秀明さんが通った大学だったことや、大阪は地元の富山からも行きやすいっていう、ものすごく単純な理由でした。写真学科と映像学科で迷って、映像を選んだのも、高校の先生が「写真は1人で撮れるからいつでもできるけど、映画は集団でつくるから、大学でやってみたら」とアドバイスしてくれたのが理由。大学選びも、学科選びも、あきれるぐらい受け身でした。だからというわけではありませんが、私は芸大での4年間を心から楽しめたとは言えないんです(笑)。というのも、入学してから自分は共同作業に“絶望的に向いてない”ことに気付いたから。みんな若くて自己主張も強いし、とくに芸大は個性的な人ばかり。自我とか、他人との比較、将来への不安といったものとずっと格闘していた4年間でした。
それでも私にとっては、芸大で過ごした4年間は忘れることのできない時間。その理由は、芸大で自分の好きなこと、向いていることに気付くことができたから。私は本当にダメダメな学生でしたが、映画評論とかレポートを書くのだけはすごく楽しくて、そこで「文章を書くのが好きなのかも」って気付くことができた。
もうひとつの理由は、1人の女の子との出会いです。彼女とは芸大の空気になじめない者同士、すごく仲良くなって、これ以上ないぐらいお互いのことをさらけだしました。コミュニケーションしつくして、友情を深めて、お互いを通して自分のいいところやダメなところを自覚することで、自分を確立できた。
だから、私が大学の良さを語るときにはいつも、彼女の存在があります。私にとって芸大での4年間はキラキラした時間だったとは言えないかもしれないけれど、それでも彼女に巡り会えたことで十分、「モトはとれた」って自信を持って言える。それぐらい私にとっては大切な出会いであり、時間です。卒業後も彼女にだけは作家になりたいと打ち明けることができましたし、デビュー前のつたない作品を読んでくれたりもして、今でも親友です。
私は大学を卒業後、小説家としてデビューするまでに約10年かかりましたが、長い間、諦めずに書き続けられたのは、芸大での4年間があったから。大学時代から漠然と小説家になりたいと考えていましたが、当時は表現したいものもなかった。でも、親友との時間をとおして、自分のなかの語るべきものを見つけられた気がしたし、大学で何も表現できずに鬱屈した時間を過ごしていたぶん、書きたいという思いが長持ちした気がします。もし芸大で楽しくいろんなことを表現していたら、作家になっていないかもしれませんね。
今は「学校でも、仕事でも楽しまないとダメ」みたいな風潮がありますが、私は楽しい時間って通り過ぎていくだけで、あまり残らない気がするんです。私にとっては芸大での4年間のほうが、楽しかった高校時代よりも、自分をつくり上げてくれた大切な時間です。だから、もし芸大に入って、うまく周囲となじめなくても気にしなくていい。何かを創作したいと思う人には、苦しんだり自分と向き合ったりする時間がきっと必要。いつか、自分にとって不可欠だったと思える日が来ると思います。
私もいつか芸大で過ごした日々のことを書いてみたいけれど、まだうまく書けそうにないですね。気やすく触れられないし、振り返ることもできない。それぐらい私にとっては忘れられない場所であり、時間です。
『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)