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イラストレーター・中村佑介は、2017年でデビュー15周年を迎える。繊細な線、大胆な色使い、そして印象的な女の子。完成された絵は一度見たら忘れられない。その瞬間に恋に落ちたように。
アートとカワイイの境界で、中村佑介は描き続ける。しかし、めざす地平にたどり着くにはまだ遠いという。中村佑介は何を見ているのだろうか?
撮影:田頭 真理子 photographs:TAGASHIRA MARIKO
—2002年にフリーランスのイラストレーターとして活動をはじめてから15年が経ちます。振り返ってみるといかがですか?
「この15年間は3つの期間にわけられるかなと思います。第一期は2002年の活動を開始した直後から『Blue』という画集の発表まで。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのCDジャケットや森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』といった作品を通じて、中村佑介という作家の世界観を世のなかに示せたと思います。
第二期は2冊目の作品集となった『NOW』を出版した時期。それまでと違った作風に挑戦しましたし、さだまさしさんやAKB48の柏木由紀さんとのコラボなどもあり、少し上の世代だったりアイドルファンだったり、これまで僕のイラストに触れてこなかった方々からも一定の評価を得られるようになりました。
そして第三期が今。これまでより規模の大きなことに挑戦したいと考えています。じつはもう日本でできることはやりきったかもしれないという気持ちもあって、海外の仕事も徐々にできればと考えています」
—海外ですか?
「僕の描く絵の幅はそのまま支持層につながっていると感じています。それを最初に思ったのは2009年に『Blue』を出版したときなのですが、サイン会をすると僕の絵に出てきそうな方が来てくださるんですよね。それは海外でも同じで、国外でサイン会をしてもやっぱり絵のモデルになっているアジア人が多い。なんかそれって惜しいなって思ったんです。せっかく絵という言葉以外のコミュニケーションの手段を取っているのにって。
だから、もっといろんな人に届くような絵を描きたいんですね。でも、今の作風でおばあちゃんだったり、子どもだったりをきちんと描けるのかっていう問題にもなるので、そういう意味では劇場アニメ『夜は短し歩けよ乙女』でキャラクター原案に携われたのはすごく勉強になりました。もちろんイラストとアニメでは同じ絵でもまったく方法論が異なるので、そのまま同じようには描けないですけれど」
—中村さんは自分の絵がどのように見られるかをかなり意識していますよね。
「昔からそういう性格なんですよ。 絵を描くのは幼少期の頃から好きだったのですが、自分の好きなものを描くより誰かにお願いされたものを描く方が好きでした。同級生が好きな漫画のキャラクターを牛乳キャップの裏に描いてあげるとか、ヤンキーの上履きにファ イヤーパターンをうまく描いてあげるとか。だから、絵を描きたいという欲望以上に誰かからの依頼に応えるということが、原動力になっているんです」
意識的に変えていった色と線の使い方
—これまでの作品を時系列で見ていくと、意識的に描き方を変えているなと感じます。
「そうですね。大学3年生の頃から今の作風に続くようなイラストを描くようになったのですが、デビューしたときにまず色の使い方を変えていきました。それ以前は白色と黒色を多用していたのですが、とくに黒色をなくしていくようにしたんです」
—それは何かきっかけが?
「CDのジャケットにしても、本の表紙にしても、広告にしても、描いたイラストは商品や企業の顔になるものなので、黒色が多いとどうしても暗いイメージになってしまうんですね。そういう作品ばかりだと仕事がこなくなるだろうなと思ったんです。とくに大阪に住んでいるとアピールの機会もかぎられてくるし、当時はネットも今のように普及していないから自分の作品をアピールできる場も少ない。だったら、一つひとつの仕事を〝中村佑介〟という作家のプロモーションにもなるものにしようと思ったんです」
—描写の細かさも徐々に増しているように感じます。
「白と黒以外の色を使おうとすると、絵柄と色の関係が気になるようになったんです。それまでは漫画の延長線のようなタッチだったのですが、それだとどうしても色を塗ったときの違和感が抜けなくて。色をより美しく見せるために 曲線の描き方などを整理していっ たんです。でも、それを突き詰めていく、つまりタッチが確立していくと、今度は描けないモチーフが出てきた。たとえば、毛の生えた動物やパーマヘアなどがそう。色の塗り方や、線の描き方だけでは対応しきれなくなって。そうやって描けないものが見つかる度に表現の幅を広げていきました」
—そういうものは描画力が向上していくことで描けるようになってきたのでしょうか?
「その順番は逆かもしれないですね。表現の幅を広げるために技術を高めていったというか。より多くの人とコミュニケーションをとるためには、いろんな喋り方ができる方がいいじゃないですか。敬語も話せるし、少し崩した話し方もできる。そういうことを意識するようになったのが2008年くらい。それくらいから上品な絵だけではなく、少し崩した絵も描くようになりましたね」
イラストレーターという仕事の境界線を取り払った
—最近では塗り絵本を発売しましたが、どういった考えがあったのですか?
「画集をどんどん発売するのもいいんですけど、今の日本だと画集で100万部を売るのは不可能に近いと感じました。だったら、別のものの方がより多くの人に届く可能性が高いと考えた結果が塗り絵でした」
—SNSなどを拝見すると、いろんな方々が塗り絵を楽しんでいる様子が散見されます。
「自分が考えていた100倍くらいのリアクションがあって驚きました。僕の絵はそこまで単純化されていないので、塗り絵としての難易度は高い方だと思うんです。それでも丁寧に、また思いもよらない色で塗ってくれる人がたくさんいて、共同作者みたいな感覚がしますよね。まるで一緒に画集を制作しているような。絵で他者とコミュニケーションするひとつの答えが見えた感じがしています」
—そうした活動を通じて、どれくらい目標は達成できましたか?
「100段階で考えたら……3段目くらいですかね(笑)。イラストレーターの社会的地位はまだまだ低いと感じます。僕の場合は、 両親が絵の仕事への理解が高かったのでイラストレーターになると言ったら応援してくれましたけど、ほとんどの家庭は応援してもらえないんじゃないかな。それくらい認知度が低いところで活動しているわけです。だから、もっと多くの人が〝なってもよいまともな職業〟と思える社会にしたいです」