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「スーツで会社勤めなんてイヤだ」という動機で芸大へ
現在はファッション雑誌『メンズクラブ』の編集長を任されていますが、17歳の頃はそれほどファッションに興味はなく、ブラックミュージックにハマっていました。実家に近い姫路のタワーレコードで『bounce』(フリーペーパー)を手に入れ、海外アーティストの情報を得ることが音楽との接点。オシャレな親友と連れ立って、神戸や三宮のクラブに行くこともありました。
とはいえ、音楽業界をめざそうということでもなく、将来像はハッキリしていませんでした。
大阪芸大を選んだのは、普通の大学とは違い、音楽や映画という自分の好きなことに集中出来ると思ったから。芸術計画学科の入試には実技試験がなく、筆記のみだったのも魅力でした。若い時期にありがちな「スーツで会社勤めなんてイヤだ」という逃避的な気分もあったでしょうね。
音楽、映画の知識もファッション誌づくりに生きている
進学後は他大学の映画サークルに入るなどして好きな映画や音楽に時間を費やしました。
90年代初めはミニシアター系の映画館がトレンドで、ゴダールやフェリーニなどたいして内容も分かっていないのに、マイナー=かっこいいという不純な動機で観ていました(笑)。今思えば、あの頃に観たもの、聴いたものが今の自分の仕事にいきている気がします。
あとは音楽好きの仲間とクラブでイベントを開催したり、好きなことを自由にやっていました。大学の授業もおもしろかったですよ。8㎜カメラで映像を撮ったり、フリーペーパーをつくったり、いろんなことを経験出来たので。
出版業界への入り口は、知り合いの紹介で得た今の会社での女性誌のアルバイト。男性ファッション誌に移ってからは、スタイリストやライターも自分でやり、雑誌作りに魅了されました。最初から出版をめざしたわけではないですが、好きだった映画のビジュアルやレコードのアートワークなど、10代の頃から蓄積してきた知識や感覚が生かせているなと思います。
編集者には雑誌全体を俯瞰するプロデューサー的な資質が必要。それは専門性を深めるのではなく、全方位的に学べる芸術計画学科で得たことでもあるんですよね。
●西川昌宏(にしかわ まさひろ) 1975年兵庫県生まれ。メンズクラブ編集長兼エスクァイア・ザ・ビッグ・ブラック・ブック編集長。大阪芸術大学芸術計画学科卒。アルバイトを経て、2003年6月にアシェット婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。『ヴァンテーヌ』編集部を経て、2004年『メンズクラブ』編集部に異動。副編集長を経て現在は編集長に。