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10代の思い出を語る【フィギュアイラストレーター デハラユキノリ】 10代の思い出を語る【フィギュアイラストレーター デハラユキノリ】

デザイン学科, キャラクター造形学科 / その他
2021/06/11

「驚かせたい」
「おもしろいことをしたい」
昔も今も、それが創作の原点

合唱のパンフに描いた“イボだらけのおじさん”


勉強もできなかったし、「だったら好きなことをやろう」と芸大受験の準備をはじめたのが17歳の頃。


絵を描いたり、粘土で何かをつくるのは好きだったのですが、それ以前に人を驚かせたかったんです。子どもの頃は表現の方向性が定まっていなくて“いきなり廊下で大声を出す”みたいなこともしていましたが(笑)、絵に関してもただキレイに描くというより、“何だこれ?”と思わせたくて。


中学生の合唱コンクールのパンフレットの絵を担当したときも、表紙は人が歌を歌っている普通のイラストで、裏表紙は顔面イボだらけのおじさんの絵を描いたりしてました。


「驚かせたい」「おもしろいことをしたい」というのは今の仕事にもつながっていると思います。10代の頃は映画も好きで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ランボー』などのヒット作から、スプラッターもの、ゾンビものまで何でも観ました。映画のポスターやチラシ、下敷き、バッグなども集めていて、それがデザインへの興味につながったのかも。

中学生の時にイラストを担当した合唱コンクールのパンフレット。左が「何だこれ?」と思わせたくて描いたイボだらけのおじさん。「女子にはとても嫌がられました」。

作品を仕事につなげるために、絵に値段をつけた


デッサンの先生に「あなたはおもしろい絵を描くから、大阪芸大がいいのでは」と勧められたこともあって、大阪芸大のデザイン学科に。周りには絵を描く人、デザインする人ばかりで刺激を受けたし、「ここで目立つためにはどうすればいいだろう?」と考えるようになりました。


途中からマーケティングコースを選んだのも良かったですね。自分の作品を仕事にするための実践的なことを学べたし、それはどんな仕事にも必要なことだと思うので。


個展を開くときも、作品には必ず値段をつけていました。売れるかどうかではなく、値段をつけないと“商品”にならないですから。立体作品を中心にフィギュアイラストレーターを名乗ったのは上京してからで、その前は京都の広告代理店にいました。就職活動のときは、好きなお菓子メーカーで「パッケージをつくりたいです」とアピールしたことも。その後、「きのこの山」のキャラクター(「きの山さん」)をデザインできたので、夢が叶ったということですね(笑)。


●デハラユキノリ 1974年、高知県生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒。ナイキ、タワーレコードなどの広告を手がける一方、作家として年間4~6回のペースで東京をはじめ台湾・香港・NY・LA・パリなどで個展を開く。明治製菓『きのこの山』のキャラクター「きの山さん」「たけ里ブラザーズ」のデザインや、いきものがかりベストアルバム『いきものばかり』のジャケットを担当するなど幅広く活躍している。

16歳の頃。「近所の川でフナを釣ってました。お尻に挟んでパチリ」。
18歳の頃。「初めてのゲイバー。お酒は飲んでません」。