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10代の思い出を語る【建築家 高松樹】 10代の思い出を語る【建築家 高松樹】

建築学科 / その他
2021/06/11

自分に価値はないと悩み苦しんだ10代を乗り越え、今がある

人生の迷子、逃げ場所を求めてイギリスへ


17歳といえば、人生でいちばんもがいた頃です。


中学から続けた大好きな陸上も、チーム内の温度差に高2で辞めて。大学進学が当然という空気に馴染めず、何をしたいか迷子のまま授業もさぼりがちに……。建築家だった父からは京都芸大を勧められましたが、線路を敷かれたような気がしてそれがイヤで、高校を出てすぐ語学留学という名目でイギリスへ逃亡したんです。


英語がまったく分からず3日目で泣きましたが、それでも甘えないために日本人とは意地でも群れませんでした。すると日本語と英語を使わない代わりに、「わ〜っ」「ははは」と感嘆詞で想いを必死に伝えるように。“表現したい”欲求が爆発し、脳内革命が起きた瞬間です。なにせこれまで無口だった自分が、帰国後はおしゃべりになっていましたから。

高校を出てすぐ海外へ。写真はスコットランド滞在時のもの。

その後、留学中にスケッチブックに描きためた抽象画を見た父が、開口一番「俺のところで働け」と。建築のイロハも全く分からずして、父の事務所で働くことになったわけです。


誰もがパイオニアをめざし、技術を磨いた放り込まれたのは、鉛筆やエアブラシで図面を線画に起こすドローイング部隊。朝から18時まで働いて、ご飯を食べて仮眠をとったら22時から作業を再開。深夜3時までエンドレス。パリの芸術文化施設に永久保存される腕前を持つ先輩や、独特の技法を駆使するフランス出身のスタッフに囲まれた密度の濃い1年間でした。誰もが「自分が新しい技法やアイデアを築くんだ」と貪欲さに満ちていましたね。


そんな仲間のひとりからの勧めで、建築の基礎を学ぶために大阪芸大へ。絶対にトップになると意気込んだ卒業制作は、他の学生がバブル全盛期で大型施設に取り組む中、「祖父の家」をテーマに設計。他の作品よりスケールは小さいけれど、海を臨む立地や光が差し込むキッチンなどディティールを圧倒的物量の模型やパネルで表現し、首席卒業を成し遂げました。


建築家として生きる今の私をつくったのは、すべての時間を費やし目の前のことに打ち込んだ10代の経験と自信です。


●高松樹(たかまつ いつき) 1970年、京都府生まれ。大阪芸術大学建築学科卒。高松伸建築設計事務所をへて、2000年A.L.X.(Architect Label Xain)共同主宰。2001年古関俊輔氏とともにKoseki Architects Office(古関建築設計事務所)設立。グッドデザイン賞、京都デザイン賞2009 京都市長賞、住まいの環境デザインアワード2012 LiVES賞など受賞多数。現在は京都精華大学建築学科教員。

19歳で手がけた鉛筆ドローイング。 「6Hから2Bと濃度を変え、奥行きを表現するのが至難のわざで、1枚の制作に2カ月を要しました」
大阪芸大1年生のとき。 安藤忠雄の建築物を見学に行ったときの1枚。