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●財津和夫(ざいつ かずお)1948年福岡県生まれ。ミュージシャン。大阪芸術大学演奏学科教授。1971年にチューリップを結成。1972年のデビュー以来、『心の旅』『青春の影』『サボテンの花』『Wake Up』など数々のヒット曲を発表。コンサート活動、楽曲提供、プロデュースなど、幅広く活躍している。
与謝蕪村と松尾芭蕉、時代を超えた歌合戦
「五月雨や大河を前に家二軒」は与謝蕪村が62歳のときの作品です。
画家でもあった彼らしく、俳句が風景画となって見えてくるようです。さて、この句のよさが私にはさっぱりわかりませんでした。作者の感情は17文字のなかには見つけられないからです。でも、これは私の読みの甘さでした。
一方、蕪村が敬愛していたといわれる芭蕉作「五月雨を集めて早し最上川」という句があります。この二句は状況がよく似ています。でも、作者の心はまったく異質です。“五月雨が早い”と芭蕉が詠むと読者の心はトキメキ揺さぶられます。蕪村が“家二軒”と詠むと、読者の心は落ち着いた風景をただ眺める人、になってしまいます。
蕪村には「菜の花や月は東に日は西に」という句もあります。これもまた“ヒトが自然を前にただ立っている。無表情に自然をみつめている”といった大いなる静けさを感じる句です。
反対に、芭蕉は主観的な感情を読者に同意を求めるがごとく表現します。いわば感性のナイフを向けられたようで私たちは無表情ではいられません。こう考えると、芭蕉が詠んだ90年後に、蕪村は“五月雨と河が題材なら、私ならこうだ!”と芭蕉に戦いを挑んだと思えてきます。個的、主観的な芭蕉vs宇宙的、客観的な蕪村の図も見えます。本当に蕪村は芭蕉を敬愛していたのでしょうか。
子どもが生まれて知った言葉の持つ大きな力
先につくるのは詞かメロディか、とときどき尋ねられる。
かつて私は断然、メロディでした。言葉は人が、音楽は天がつくったものだと考えていたからです。人災は因をつくった者に罰が与えられるが、天災では天が告発されたりはしません。天の意はそれほど崇高。だから、メロディはそれだけで充分、それ以上の解説は要らないと思っていました。そして、詞はスポーツ番組での蛇足の解説のように感じることがあって嫌いでした。
でも、私に最初の子どもが生まれたとき、その屁理屈は崩れました。その子は天使に見えた。天から来たのはメロディだけではなかったのです。そして知るかぎりのメロディより美しかった。我が子をとおして教えられたことーーそれは言葉の重要性でした。
「寒くないか」「人としてこう生きてほしい」などなど、コミュニケーションは直球を投げるようにして成立しました。親子間の問題を言葉が何度解決してくれたことか。
人工物である“言葉”はどこか胡散臭かった。人がさらに歪めても許されるという危うさを人工物は秘めているからです。でも、親子は言葉を歪め合ってでもがむしゃらに理解し合おうとしました。 天をとおして人と人が交わることのできるメロディという崇高な暗喩を讃えながら、人と人が抱き合うように確かめ、赦し合うことのできる“言葉”を生み出し育てた人々に感謝したい。
楽器の成り立ちを考えたとき、雨はピアノ、風はヴァイオリンを生み出したと言っていいだろう。
日本ではそれぞれ琴と笛が担当する。雨と風は狩猟や農耕にとって切り離せない背景であるから、楽器の要になるのはよくわかる。とりわけこれらの楽器は心の奥を刺激する。そして天からの雷鳴は太鼓を生んだ。
歌はどうだろう。はじめはもちろん狩りや農作業のときに害鳥獣を近づけないため、天敵になりすました声、即ち物真似で発声していたと考えられる。やがて概念を便利に伝えるための言葉が生まれると、更に言葉を正しく深く伝えるためにメロディに乗せた。言葉の信憑性をメロディで証明したのだ。音は変化しても感覚しか伝えられなかったメロディも、言葉を得て鬼に金棒となった。
私たちは今、言葉とメロディというツールを微妙に組み合わせて歌曲を味わっている。時代が変わり続け、多様な組み合わせの歌が生まれている。組み合わせがうまくいかないと駄作が生まれる。でも誰にも駄作をつくらない術はわからない。名作が生まれた瞬間をも気づかないからだ。もっと言うと、名作のどこが良いかを言えないのだ。感動の後付け解説はあるだろう。でも解説が付いた後には真の感動は既に消えている。感動とはそういうものだ。
名作は計算できない組み合わせでしか生まれない。
<夢を持ち続けよう>とは歌詞によく見られる言葉だ。でも、夢って歌手に言われて持とうと思う代物だろうか? 私には少し違和感がある。
そもそも夢を持つことに興味のない人や、心が折れたばかりの人には効果の無い言葉だ。前者は言わずもがな、後者は夢が持てないと挫折したばかりなのだ。そんな状況の人に夢を持ち続けよう、は残酷である。溺れている人に泳ぎ続けろと言うようなものだ。<夢を忘れないで>という表現もある。こちらは現在夢を叶え中の人へのメッセージなので理屈では外していない。
だが、この歌手、おせっかいが過ぎていることに気づいていない。響きいいこれらの言葉からは夢を手にした者だけの特権的意識も伝わってくる。高すぎる夢は早めに捨てた方がいい場合もある。<夢を早く実現するには、早く夢から覚めることだ>と誰かが言っていた。<夢を持ち続けよう>これにはその場しのぎの感もあるがこれは弁護しておこう。
塞ぎ込む人に寄り添った後、まとめようと勇み足よろしくつい発してしまったのではないだろうか。
ヒット曲にはすぐ忘れられるものと、時代をまたいで愛され続けるものがある。この違いは何だろう。
コロナ禍のなか、私たちはいわば長いトンネルに入った気分にさせられている。だからなのか、ビートルズの「Here Comes The Sun」という曲をこのところ巷でよく耳にする。歌詞は“太陽が昇る、長い冬だったけど、太陽が昇るよ”と繰り返しているだけだ。誰でも書けそうな詞なのだが、そこにこそ時代を超える秘密がある。
抽象的、単純、どこか子どもじみている、現実性を欠いている、生活感がない、などなど。これらの後に否定的な意味で“~過ぎ”とつければ、ふだん曲づくりのときには避けたい条件になってしまうからおもしろい。
つまり名作はつくられた瞬間に限っては駄作だったとも言える。ジョン・レノンの「Imagine」もそう。“国境のない世界を想像してごらん、いつかそうなるよ”——。私たちは現実に溺れてすぐ隣にある幸せに気づかない。ひょっとして、時代を超える歌はそれを気づかせてくれているから今日も聴こえているのかもしれない。