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●大森一樹(おおもり かずき)1952年大阪府生まれ。映画監督。大阪芸術大学映像学科長。高校時代から8ミリ映画を撮り、1977年にシナリオ『オレンジロード急行』で城戸賞受賞、1978年同作の映画化で劇場映画監督デビュー。以後、『ヒポクラテスたち』『風の歌を聴け』などを手がける。日本映画監督協会理事。
『ヒポクラテスたち』は、35年前に医学部を卒業した私が、自分の体験を基に医学生の青春群像を描いた映画でしたが、予想外に医学関係以外の若い人たちからも反響がありました。自分が何かになろうとしたものの、これでいいのかと不安や疑問を感じるのは、誰しも同じようです。それが若さであり、青春なのでしょう。
2016年、25周年で解散したSMAPが23年前に全員で(当時は6人のメンバー)主演した映画『シュート!』。彼ら6人の高校生のサッカー部。アイドル映画だが、今見ると青春映画、サッカー映画としてもよくできていると自分でも思う。もちろん、私も若かった。「若い」というだけで成立する映画もある。映画とは不思議なものだ。
昨年暮れ、私の脚本・監督作品『風の歌を聴け』のBule-rayが発売された。
もう37年も前に公開された映画なのだが、少なからず反響があると聞いた。それはもちろん原作者の村上春樹氏の名前によるところが大きいのは当然だ。今でこそ新作は出版される度に100万部を超え、ノーベル賞候補にもなる村上氏だが、制作当時は10万部そこそこで、barのマスター。その村上氏が芦屋市立の中学の後輩である私に格安で映画化権をくださったのだった。
改めて観てみると気恥ずかしくなるような所が多々あるが、それでも若いということはこんなにも大胆なものかとは思わせてくれる。
50を過ぎて、髪は白くなり、しわも少し増えたようだけど、吉川晃司はやっぱりかっこいい。誰も異論はないだろう。
思えば30数年前、所属プロダクションがデビューさせる新人シンガーを映画で売り出すというプロジェクトに依頼されて、広島から出てきてまだ右も左もわからないような少年を主役に監督した『すかんぴんウォーク』。運よく映画は成功をおさめ、吉川晃司はこの一本でスターとなり、主題歌の「モニカ」も大ヒット。以後『ユー・ガッタ・チャンス』『テイク・イット・イージー』と続いた。この3部作は長い間DVD化されなかったが、ファンクラブの強い要望でようやく実現。
あらためて今見ると、恥ずかしくなるような所もあちこちあるが、そんなことを吹き飛ばしてくれるのは、10代の吉川晃司の圧倒的なパフォーマンスと身体能力。それは今見てもほれぼれしてしまう。そして、今の吉川晃司の原点がこの映画にあると、ひそかに自負しているのだが。
WOWOW2時間ドラマ枠の2007年制作の劇映画で、私の監督作品では知る人の少ない一本だが、新型コロナウィルスの世界的流行時に改めて見ると興味深い。
新種の真菌によって黒い粉を含んだ咳で覆った手を黒くして死に至る黒手病が、じわりじわりと死者を増やしていくなか、監察医、感染症研究者たちが原因を究明し未知の感染症と戦っていくという山田宗樹原作の映像化。私が大阪芸大に就任した頃で、脚本に西岡琢也、音楽に栗山和樹と大阪芸大教授陣と組ませていただいた。
この真菌というのが、なんと聖徳太子、小野妹子の時代に渡来人が持ち込み大流行させたもの、それが1400年前の石棺から発見され現代に再生というのだが。本作だけでなくパンデミックを描いた映画は少なくない。
ただ、映画には終わりがあるが、現実では終わりが見えないというのがもどかしい。