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●織作峰子(おりさく みねこ)1960年石川県生まれ。写真家。大阪芸術大学写真学科長。京都文教短期大学初等教育学科卒業。1982年大竹省二写真スタジオ入門。1985年、1986年には全国二科展入賞。1987年に独立してからは世界各地で写真展を開催。現在は日本写真芸術学会評議員、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会文化・教育委員としても活躍。
石コロを宝石に変えましょう!
は写真を教えるときの私の口癖です。石コロが石コロにしか見えない人には写真は撮れません。素材を料理する前に、素材がどこに隠れているかを見つけ出す才能が写真家には必要なのです。そのうえにセンスをもって料理や調味をするのが写真を撮る基本スタンス。
ある日、ふとカフェに立ち寄ると、ガラステーブルの上に一輪の可憐なテーブルフラワーが置かれていました。角度によって屈折するテーブル面を絞り値解放で撮影すると、ブルーと黄色の花の色のコントラストが美しい作品になりました。工夫次第で石コロも宝石に変えることができるのです。
テキスタイルデザイナーであり詩人でもあるウィリアム・モリス。
彼の過ごした場所を訪ねて撮った写真が「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」で展示され、2017年1月に愛媛県美術館、2月に福井市美術館を巡回しました。
この展覧会では、大阪芸大図書館所蔵の希少本『ユートピアだより』も展示され、話題を呼びました。しかし、モリスが理想郷とうたったケルムスコット・マナーでは、妻ジェインだけでなく、師と仰ぐロセッティも同居。複雑な三角関係に悩み苦しむなかでモリスは、「地上の天国」のごとく独自の美を極めていったのでした。
デジタルカメラの出現により、撮影後の表現方法がさまざまな形で広がっている。印画紙でプリントをしていた時代から、和紙やアクリルに写真が転写されることが一般的になってきた今、作品の表現の可能性が広がってきている。
私自身も、数年前から生まれ故郷石川県の伝統工でもある金箔や銀箔に写真をプリントする技法を研究している。
銀は経年劣化するのが特徴であり、変化を楽しむことの理解を必要とするが、作品が何れダークなトーンのなかに埋もれて行く姿を早く見てみたい気もする。
直近では硬質のプラチナ箔に写真プリントを試みている。プラチナ箔は銀とは違う燻した輝きが特徴だ。無論、古典技法や銀塩写真もすばらしいが、デジタルカメラが誕生したことにより、今後は益々現代アートとしての写真の可能性が広がって行くことだろう。
アンダルシアの白い村々を旅した。
夏は40°Cを超える日が多いこの地では、熱を逃すために家の壁は白く塗装がされている。小高い丘の岩場にへばりつくように建つ家々。岩のなかを削ってつくられた家もある。ここはナショナルジオグラフィックに掲載された村、フリヒリアーナ。まさにフォトジェニックという言葉がピッタリの景観だ。
夏は涼しく冬は暖かい生活の知恵は何百年も前から変わることなく続いている。家のなかもいたってシンプル。ふと、日本の住宅に思いをはせた。断捨離という言葉が流行るほど、物があふれている。片付けが下手なうえに物を増やしてしまっている人が多いのではないだろうか。
身の回りはできるだけシンプルにしたいものだ、とペンを走らせながら自分にも言い聞かせている私である。
ポジフィルムに写された一枚の写真が私の旅心を注いでしまった。
日本を発ち、25年ぶりに訪れたベネチアは前回と変わりなく、街のなかは自動車も自転車も禁止。7日間の滞在で本当によく歩く毎日だった。交通事故の心配も無く、お陰で複雑な道にも日に日に慣れていった。
古いビルの壁にはサンマルコ広場への道案内の表示が印字され、下を見れば石畳の模様でサンマルコ広場行きの道標がわかるようになっている。目まぐるしく変化を重ね続けている日本とは真逆の都市である。イタリアのなかでも車両進入禁止という独特の環境がこの街の保存につながっているのであろう。移動手段はバス(水上ボート)か観光用のゴンドラのみ。時々東京や大阪の喧騒から離れ、タイムスリップしてみるときっとリフレッシュができるだろう。
帰国後、新型コロナウイルスの影響でベネチア名物のカーニバルは中止になったと聞く。平穏が戻ることを祈るばかりだ。