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illustration:MINEO MAYA
あれはたしか入学前に大阪芸大から届いた、ニュースペーパー的な冊子に載っていた、どこかの学科の教授によるエッセイだったと思う。
曰く、大阪芸大は梅田や心斎橋といった繁華街からは地理的に遠いため、キャンパスの近くに下宿している学生のなかには4年間ずっと大学周辺に居続ける人も少なくないけれど、若い人はもっと積極的に街に出て刺激を受けるべきだから、どんどん出かけなさいね、という内容だった。当時まだ親元にいてぬくぬくとこの文章を読んだわたしは、よーし大阪に行ったらあちこち遊び回るぞ~と意気込んだ。
ところがいざ一人暮らしをはじめてみると、ほとんど自分の部屋と大学を往復するだけの毎日になってしまった。遠いって、けっこう致命的だ。中古車やバイクを買っている人もいるなかで、わたしはペーパードライバー、移動手段は電車かバスかせいぜい自転車である。それに大阪の街は複雑で、一度や二度行っただけではとても把握できず、慣れるには時間がかかった。
まだグーグルマップのない時代だから、バッグのなかに地図を忍ばせて、迷いながら開拓していかなきゃいけない。出かけると言ってもせいぜい天王寺までが安全圏で、それより先に行くと心細く、帰りたくて仕方なかった。結果、あの教授が警告していた悪例の二の舞いに。いくつかの映画館の場所くらいは憶えたものの、土地勘がまったく養われないまま、大阪での4年間は過ぎ去ってしまった。
でもいまから考えると、これはこれでよかったとも思うのだ。都会に出たつもりで大学に行ったのに、街から遠く離れた場所で悶々とした時間を過ごし、内にこもりまくったことで卒業したときもわたしのエネルギーは、まだ充分にあった。むしろこれからって感じだった。過酷な受験ですり減ったり、盛りだくさんのキャンパスライフを楽しみ尽くしたりして、22歳くらいまでになにかをやりきってしまう人は多い。そうすると、あとの人生は余生みたいに思えることもある。肝心なのは、そこから先なのに。
卒業後、地元に帰るにはまだまだ不完全燃焼すぎて、わたしはひとり関西を彷徨い、ついには東京にまで行ってしまった。別にバイタリティがあったわけではなくて、あれはまだまだ自分を出し尽くしていない、枯渇感ゆえだろう。「書を捨てよ町へ出よう」もいいけど、街なんか出ずになにもない場所でひとり煩悶するのだってそれなりに、少なくともわたしには、効力はあったわけだ。
●山内 マリコ(やまうち まりこ)1980年富山県生まれ。作家。大阪芸術大学映像学科卒業。2008年、「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。同作と『アズミ・ハルコは行方不明』は映画化もされた。2021年には『あのこは貴族』も映画公開予定。『山内マリコの美術館は一人で行く派展』などエッセイも多数。